音楽堂を語る
Vol.2 我々のホームグラウンド
音楽堂の歴史とともに歩んできたアマチュアオーケストラ
横浜交響楽団 理事長 小磯智功
横浜交響楽団 理事長 小磯智功 横浜交響楽団(横響)定期演奏会の全614回の中で、私は音楽堂開館の翌年の昭和30年7月の第76回定期に初めてこの音楽堂のステージに乗りました。その後、仕事でどうしても休まざるを得なかったり、音楽堂が改修工事だったり、年末の「第九」公演を県民ホールでやるようになったりということを除いて、もう500回以上はこのステージのお世話になっていると思います。
 音楽堂の歴史は横響の歴史と重なっていると思いますが、私の人生の歴史の大半も音楽堂でできているようなものですよ(笑)。昭和30年代〜40年代は毎月労音のコンサートがあって、その利用の回数も多かったと思いますが、今となっては多分うち(横響)が一番多く使わせていただいているはずです。
 横響を育てた指揮者、小船幸次郎先生は、この音楽堂の素晴らしさについて「ステージと客席の隔たりがなく、ホールのどの席へも等しく音楽の心が届く」と、言っていました。
 音楽堂開館からいつの間にか50年を過ぎていました。私自身の音楽人生を振り返ってみますと、高校生の時フルートを習いたくても楽器が高くて買えずにいたとき、たまたまその高校に世界的ヴァイオリニストのモギレフスキーに本格的な指導薫陶を受けた国語の先生がいて、みんなで弦楽合奏をやろうということになり、背中の割れた2,000円の中古楽器と560円の弓でヴァイオリンの手ほどきを受けたことが、私と音楽との歴史の始まりです。高校卒業の際、その先生から「音楽は一人でするものではないよ」と横響を勧められて入団しましたが、楽器運びや練習所の片付けなどもあるからと、奏者としてより雑用係りとして入団を許されたようなもの。最初、練習ではいつも叱られ役でした。その後、コンサートマスターを長く務めましたが、今はすっかり裏方中心です。
 横響はアマチュアの団体ですから練習回数が十分に取れなかったりして、「本番はどうなることか?」と思っていても、音楽堂のステージの響きが体に染みていることや、いい緊張感もあって、本番はうまく行くこともたびたびです。それに、ホールの木の温もり以上に、音楽堂の裏方の皆さんの心の温もり、利用者への心配りが嬉しいですね。長くお世話になっているということもありますが、音楽堂はまさに我々オーケストラのホームグラウンドです。

Vol.1 音楽堂・おかあさんコーラス
合唱の喜び〜みんなが等しくその感激を味わうこと
音楽堂・おかあさんコーラス 実行委員長 足立 富美子さん
音楽堂・おかあさんコーラス 実行委員長 足立 富美子さん 音楽堂に来ると、我が家に帰ってきた気がします。安心感があるんです。ホールに入るとふっと温かさを感じます。
 職員の方々も親近感があって・・・。これも長いお付き合いがあるからかもしれませんね。私たちも、その親近感に甘えすぎないようにしなくては・・・(笑)。
 このホールは、歌っていても、ステージに立つだけでも、音の響きをすぐにつかめるので、歌いやすいホールです。他の大きなホールに行くと響きがつかめないこともあって、不安になるのですが、ここ音楽堂ならば、響きにも慣れているので気持ちが落ち着き、思うように歌える気がします。 このホールでの思い出といえば、18年ぐらい前でしょうか、全日本おかあさんコーラスの県大会に出たとき、・・・確か神奈川県の第1回の大会だったと思いますが、そのときのことが今も深く心に残っています。私の所属しているコーラスグループで、『光る砂漠』の「ふるさと」を歌ったのですけれど、本当に気持ちよく、すべてが思ったとおりに何の不安もなく歌えて。それだけでも心から感動していたのですが、更衣室に戻ってみると、団員みんなが等しくその感激を味わっていたことがわかって、そのときの嬉しさは、それはそれは大きなものでした。自分自身の感動だけではなくて、20人30人の仲間と一緒に歌い、同時に同じ喜びを分かち合えるのですから、それはすごいことです。こういうことが合唱の喜びなのだと、今も思い出すたびにそう思います。
 「音楽堂・おかあさんコーラス」は、そうした感動を味わえる大切な場です。人数の少ない団体は単独で発表会をできないものですが、音楽堂のこの催しであれば、のびのびと、このあたたかな音響の中で歌えるのです。150団体3,000人が、歌う側であるだけでなく、様々な係を分担して、事故がないように声を掛け合ってお互いをカバーしあいながら運営する催しなんて、なかなか他のホールにはない大会ではないでしょうか?
 来年はいよいよ第50回を迎えます。どうぞご期待くださいね!
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